こんにちは。神様です。
さて、今日は釣りからちょっと外れて私が先週旅行で行ってきたある町について書いていきたいと思います。
日本人として是非知ってほしいとある町。
ずっと行きたかった町。
鹿児島県南九州市知覧町という町について今回はご紹介したいと思います。
知覧町とは?
知覧町。
すでにご存知、そして行ったことある方たくさんいらっしゃると思います。
どんな町なのしょうか?
知覧町が位置しているのは鹿児島県の薩摩半島(東側の半島)の南中央部分。
指宿や枕崎に行く手前の内陸部に位置している町です。
人口は14000人程度の小さい町で、知覧茶の栽培が盛んです。

知覧へのアクセス
知覧へのアクセスは非常に悪く、鹿児島市からバスかタクシー。
または指宿方面へ電車に乗って行ってタクシーがバスを使うと行った方法でしたたどり着けません。
ただその秘境感も旅の醍醐味だと思います。

引用:JR九州HP
メモ
最近では鹿児島中央駅から指宿間の特急列車【指宿玉手箱】が非常に人気です。錦江湾を眺めながらの列車の旅。終着駅の指宿で砂風呂に入るのも乙です。是非一度乗車してみてはいかがでしょうか?
特攻の町知覧
ではこの南九州にある知覧が全国的になぜ有名なんでしょうか?
知覧が有名な理由は、歴史なんです。
武家屋敷があることから薩摩小京都と呼ばれています。
しかしそれよりも太平洋戦争時に陸軍の航空基地が置かれ、戦争末期には特攻基地として使用されていたということがこの知覧を有名にした大きな理由。
メモ
神風特別攻撃隊とは、太平洋戦争末期に敗色濃厚な日本軍の起死回生を図る必死攻撃。知覧町から発進した航空特攻は、戦闘機等に大型爆弾を装着して航空機ごと敵戦艦や空母に体当たりするというもの。攻撃の特性上、パイロットは必ず死ぬ。航空機特攻以外に、ボート(震洋)や人間魚雷(回天)等の特攻攻撃があった。
現在、特攻基地跡は知覧特攻平和会館となっています。

引用:鹿児島県観光連盟HP
平和会館には、特攻で亡くなった方の写真や遺書、遺品などが膨大な数展示されています。
海中から引き揚げられた零戦等の航空機も展示されており、毎年非常に多くの人が訪れる会館。

知覧に行ってみた
ということで日本人なら一度は行ってみたかった知覧に先般初めて行くことができました。
熊本の友人を訪問するついでに足を延ばしたのです。
知覧へアクセス
今回は、鹿児島中央駅から指宿まで電車で向かい、そこからタクシーで知覧に向かうことにしました。
鹿児島中央駅にいる私。
ここから在来線で指宿へ。
指宿に着き、とりあえず砂風呂へ。
これがめちゃくちゃよかった。寒いかと思ったけど砂が熱い。
体の芯から温まる。
時間もないのでレンタカーを借りて知覧へ。
開聞岳の雄大さ
レンタカーを借りて知覧へ行こうと思ったがレンタカー屋のおっちゃんが是非開聞岳をみていけというので寄り道しました。
ちょうど夕日の時で綺麗な円錐形の開聞岳がとても美しく映った(日本最南端の駅西大山駅にて)。
知覧へ向かう。
戦争当時、兵隊さんのお世話をしていた富屋食堂が現在旅館として営業している。
本日はそこにお邪魔することにしていた。
当時のことを偲びながら床につく。
知覧特攻平和会館へ
次の日、朝早く知覧特攻平和会館へ向かう。
平日だからか人はまばら
早速中に入る。
写真撮影は禁止されているので写真がないのが申し訳ないが、かなり広い会館に亡くなった方々の遺影と遺書・遺品などが所狭しに並べられている。
17歳くらいの若い人も特攻に駆り出された現実。
自分が今の年までこのような歴史を知らなかったことになんとも言えない感情になった。
会館外にも兵舎が復元されていたりと見所がいっぱい。
気づいたら昼を遠に回って14時になっていた。
それでももっと時間をかけてみたいと思った。
私のチンケな言葉では表現してはいけないと思う。
最後に一番印象に残った方の遺書をみなさんにご紹介して本日は終わりにしたい。